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対談シリーズ 翻訳家 上野圭一さん

鈴木:先ほどのお話で、この辺りにお住まいのお年寄りはとても素晴らしい身体をしている。車など使わずに山の下まで平気で買い物に行くけど、とてもじゃないがまね出来ない、とおっしゃっていましたが、東京に住んでいると生活の中で身体を動かさない分、わざわざスポーツクラブなどに行って動かすのが当たり前の生活になって来ています。昔は使用人達が身の回りの世話までやってくれて『お大臣』は何もやらなかった。何もやらないのは『お大臣』の特権だったですね。みんなそうなりたいと永きに渡り想い続けて、現実に夢が叶ってそのような世の中になったわけですが、それと共に『お大臣』のように体まで脆弱になってしまった。

僕は骨格の矯正と言う仕事を通じて、人間は「まず肉体ありき」みたいな感覚を持っています。どこまでも肉体を纏っている限りは肉体のあり方に、例えば崇高な精神などでさえ容易に引きずられてしまうのではないか、と思います。ですがこの大切な肉体がどうしようもなく弱くなって来ていますね。

戦後、それまでの修身や天皇制などの心の軸を失ってしまい、オーム事件で決定的に宗教アレルギーになってしまい、道徳も崩壊して、我々日本人は精神的な支柱というものを全く失ってしまった。その上、コミュニティーという繋がり、例えばご近所付き合いという地域社会も崩壊しているし、戦後のコミュニティーであった会社の終身雇用も崩壊してしまった。生活が豊かになった結果助け合いながら家族でいる必要もなくなってしまった。私達現代人は、どこに立脚して生きていけばいいのか?精神的バックボーンと言うか、生きてゆく根幹が揺らいでしまっている今、健康を求めるということ自体がとても難しいと思うのですが…。

上野:本来健康というのは与えられているものである訳です。地上に生まれているということは、健康だから生まれてきているわけで。例えば魂があるとすれば、それが地上に肉体を持って産まれることすらできないで、どこかでうろついているかもしれない魂なども多々有るのではないかと思いますね。

肉体を持って産まれてきた、ということはすでに健康なわけですよ。本来は健康というのは、与えられたものであり、自分が獲得するものではないと思うんですね。

ましては、お金をだして買うものではないし。与えられているにも関わらず、色々な生活上、人生上の問題、ストレスとか悩み苦しみ、そういう病的な状態になって時に初めて健康というものを意識する。

健康になりたい、とか、戻りたいとか。初めてそこでそういう問題が、問題として出てくる。産まれたままの姿で生きていたら、健康なんですから、別に健康なんて意識しないだろうし。

日本人は”自然”という言葉を明治まで持たなかったんですけど、西洋文明が入ってきて”ネイチャー”とか”ナチュール”という言葉が入ってきて、それを翻訳しなければならない。

”ネイチャー”っていうのはなんて訳せばいいだろう?ということで、翻訳者が苦労して考えたのが”自然”という言葉だったんですね。

それまで何千年もこの国に人が住んでいて、自然と共に生きて、そして健康であって、あまりにも自然が身近にあるから、自然を対象化する、という必要もないから自然という言葉が必要としなかったのですよね。

ただ”自然(じねん)”という言葉は中国からきたからあったんだけど、これはいわゆるその、山とか川とか木とか自然という意味では全くなくて、”自ら”という意味だった。

花が自ら自然に咲くとか、

太陽が自ら射すとか、

夜は自らくるとか、

そういう事が全て”自然(じねん)”なんですよね。名詞ではなくて副詞。

自ら〜する。自ら産まれ、自ら死んでゆく。

そういう時に使われた言葉であって、その言葉を翻訳者は名詞にくっつけたのですよね。だから翻訳家から見ても無理があるのだけど、では他に訳し方があるのか?というと難しかったからしょうがなかった。

今の人は英語のネイチャー、フランス語のナチュール、日本語の自然が同じだと思っているけれど、日本人の精神には、数千年に渡ってそうじゃなかったのですね。いわゆる”自然”というのはなかった。意識しない。意識する必要がなかった。この体も自然だし。そういう意味では人間がそれに変更を加えたりするべき物じゃないという考え方ですね。だから”健康”とかは非常に新しい言葉です。外来語の翻訳になりますね。

鈴木:そうか〜。僕が思うに健康法とは、例えば動物を観察していたり、虫を観察していると、一つの群の中でも強い個体と弱い個体というのがいて、その弱い個体がより健やかに生きていくためのHow toとして健康法というものが必要なのだろうと考えているのですよね。

例えば男性であれば、朝起きて、満員電車に乗って会社に行き、残業して帰ってきて、家庭サービスをして、土日には目一杯遊べて、そのような日々の行事を充分にこなせるだけの当たり前の体力がある群が世代が下がるに従いはっきりと減少して来ている気がします。女性の場合ですと、腰痛や腱鞘炎で赤ちゃんを抱けないとか、母親が娘の肩を揉み過ぎて手を痛くするなど、私達の親の世代からすると信じられないような現象が現在は「あたりまえ」になって来ています。根本は、本来自然からは早い時期に淘汰されてしまったはずの弱い個体が、文明の恩恵により生きながわれ、繁殖を続けてしまった結果である、ということだは思うのですが…。その為に後天的に獲得して行くサムシングが必要なのだと、その為の健康法だと思っているのですが。

上野:あと社会の要請、国家の要請という形もありますね。例えば、明治の頃に「健康」という事が非常に流行ったのは、国が言い出したのですね。様々な富国強兵政策、欧米列強に追いつかなきゃならないからまず、軍隊を作る。しかもちゃんとした軍隊を作らなくちゃならない。そして一人一人の兵士を鍛えなくてはならない。運動もさせて、イザというときに人殺しが出来るような兵士を作らなくてはいけない、となる。

これって国の計画した健康政策ですね。今はそれが兵士の変わりに、サラリーマンというか労働者という階層に向けられている。彼らが働いて経済がなりたってゆくようにしなきゃいかん。ということなのでしょうね。

国の、社会の要請というのは、常に健康を求めるという傾向があるわけですよ。そういう罠というか、一種のトリックにひっかかるというのはおかしいと思いますよ。

そうだとしたら徴兵制度、徴兵試験に落っこちるぐらいの体力のほうがいいと思いますね。そうすれば人殺しをしなくてすむ。

徴兵検査に甲乙丙って段階があって、甲種合格っていって乙種にいばっていたけど、乙は人に顔向けできない、虚弱な人だけど、本当の平和主義で考えると、乙の人が沢山いれば、兵隊は弱くなるし、闘えなくなるし、バランスがとれてくると思います。

今から考えると、欧米列強に追いつけ追い越せ、ということ自体どだい無理だった、と思いますね。

欧米というのは、その歴史の中で自然的に産業革命というのが起こってきたわけで、日本とかアジアには自分たちの力で作った立派なものがあるのに捨ててしまい、欧米列強のいわゆる機械文明を取り入れることが文明化だと思い込んでしまった。

欧米列強に追いつけ追い越せという発想自体が、僕はそれ以降の日本人を苦しめた主な原因だと思います。

日本なら日本の、中国なら中国の数千年の歴史があって、その中に独自の文明があったわけですね。

例えば江戸時代、鎖国していたから食料自給率100%ですよね。そして完全に循環型社会ですね。基本的には健康な主食で。素晴らしい芸術とか装飾品とか、ありとあらゆるクリエイティブな活動とか行っていて、未だに世界中からすごい高値で買われるような版画とか、そういうものを沢山作ってきたわけじゃないですか。これが日本の文明の形なわけですね。実際に循環型持続可能な社会を築いて来ていたわけです。

 岩見銀山が、このあいだ世界遺産に登録されましたが、なぜ認定されたかというと、世界中の鉱山というのは、山に金なり銀なり銅なり色々人間に必要なものがあったとすると、どんどん山を崩していって、あとは禿げ山になってしまう訳ですね。よく見苦しい山がありますよね、あれがいわゆる鉱山。だけど江戸時代の岩見銀山というのは世界最大の銀の産出量であるにもかかわらず、木を切ったら必ず植えるという事を最初からやっているわけですね。

だから景観は全く美しいわけです。山が生きているのですね。必要な物だけ取り出すのではなくて、切った分だけ育てるという事を始めからやっているから実に美しい。しかも素晴らしい銀がとれた。そこが認められて世界遺産になったのですね。それはまさしく江戸時代の高度な文明の営みだったわけですが、そういうのを全部捨てちゃって西洋のようになりたいっていうのは、ある種コンプレックスになってしまって、同じような発想でそんな文明を取り入れてそれよりも勝ちたいみたいな…。コンプレックスが動機の政策をとってしまったとこに、我々の負の遺産というのがあると思うのです。でも、そこに気がついてしまえばね、あぁそういうことじゃないんだ、西洋は西洋で自然にそうなったのだし、東洋は東洋の自然的な文化があったのだから、それに戻って、この日本なら日本の土地にあった独特の生活を取り戻してゆけばいいと思える。それを今でいえば「持続可能な循環的社会」であるということじゃないでしょうかね。

鈴木:深いですね…。根源ということになると、社会性だとか、国家とか、やはりそこを抜きに考える事はできないですね…。

上野:抜きにはできないですね。健康だ、とか言ったって、今は地球自体が病気になってきている訳だからね。地球が健康であって、初めてその上に住む動植物達が健康になれるわけで、地球の温度が1℃、2℃狂うだけで砂漠化だとかね、雹がふったりするとか、サイクロンがくるとか、地球の発熱が変わるだけで実際に恐ろしいことになっているわけでしょ?これがあと数℃あがったらどうなるか?というのもCGでシュミレーションしているわけじゃないですか。こういう地球が病気になって熱があるぞっていう時に、それにおかまいなしにそこに住む生き物が健康だのって言っていること自体がおかしいわけです。

鈴木:確かに、そうですね…。

上野:そんなこと言っている場合じゃない。病んでいる星の上に辛うじて生かされていて、その症状は現に確実に現れてきているわけです。我々が健康という時には、我々一人一人の健康。そして家族の、地域の健康、という事…だけではすまなくて、やっぱり地球に対してどうか?という事を常に問われているのが現在だと思っています。今やっていることは、地球の発熱に対して、熱を冷ます方向に行っているのか?それとも熱を上げる方向に行っているのか?そういうことを考えながら行動しなければならない時代にもはや入ってしまっているわけじゃないですか。クローズドの空間でエアコンを入れていくらフィットネスとかやったってそりゃもうナンセンスですね。一歩外でたらこの暑さでしょ? 昔は梅雨明け10日ってね、僕は山をやっていたのですが、山の写真家って梅雨明け宣言が出たとなると、10日間は雨が降らない。ピーカン続きになる事を知っていた。地球が健康だったからサイクルが規則的なわけだね。梅雨があけたらカーンと晴れる。ところがもうそういう状態はないですね。いつ梅雨が明けるかわからない。梅雨明け宣言しても自信がないみたい。すごく湿度は高いじゃないですか。これはやっぱり地球の病状な訳ですよ。なんか発汗がうまくいかないでぐずついているような状態だと思いますね。

鈴木:海もそうですよね。

上野:海の中なんてすごいですよ。東京湾一体は熱帯魚化しちゃって。

鈴木:黒潮に乗って沖縄の方からずっと上がって来る死滅回遊魚というのが死なないんですよね、今は。

上野:そう。世界中にそういう現象が見られる。最初は面白いって思っていたけど、それはむしろ笑えないような状態になってしまっているのですよね。