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院長対談シリーズ

対談シリーズ 翻訳家 上野圭一さん

鈴木:先程のお話にあった、本来物質としてのこのボディというものがあって、マインドがあったり、スピリチュアルが重なって人体が構成されていて、しかも魂は流転する、という生命観に立つ医学形態は、こういうレベルでの医療になってくるのですね。

上野:だと思いますね。そういう人間の感覚器官というのは、これは科学的に誰でも知っていることですけれど、可視光線の範囲というか、この宇宙全体の、その中である一部分が見える。音もそうですね。全周波数の上下がカットされて人間の耳に届く範囲のみ聞こえてくる。感覚器官っていうのはそのようにリアリティの中の一部の情報だけをとらえて、これが世界だ!と思い込んでいるわけじゃないですか。しかし、ここに飛んでいる蝶々は全然違う周波数のところにいるし、ハチは全然違う周波数のところにいて生活していますよね。そうすると生き物って言うのは、人間はこうだけれども、他の生き物はそうではない。象はこっちのほうが長けている、鯨はこっちとか、いろいろ有る訳ですね。

そうすると彼らが見ている世界というのは僕らが見ている物と全然違うものだということを、ものを見る時の基本として気をつけていないといけないね。

そうすると我々に感知できないというのは、おそらくは、例えばこの虫はこれを見ているとか、この鯨はこれを聞いているぐらいのことはわかれば、少なくとも、これくらいの範囲でものを見るようになるということですね。今見えない、聞こえないけれども、実際にはもっとずっとある訳ですね。それぐらいの広がりのなかで考えたり発想したりしてゆくことが自然を取り戻すっていうことに繋がるね。とっても大事なことだね。そうじゃないと、人間に与えられた感覚器官の世話をするだけの世界に閉じこもっていると、なんていうか狭い世界、節穴の世界をすべてと感じてしまっているだけだもんね。

鈴木:不可視の領域、不可知というかわからない領域に関してもっともっと敏感になる、それが健康に生きるために非常に大切である、ということですね。

上野:だと思いますね。昔、バリでシャーマンみたいな人と話した時に、なんか気に入られちゃってね(笑)。弟子がいないわけですよ。後継者にならないかと言っているわけ。ついでくれる若者がいないもんだからさ。しょうがないから日本人のお前が弟子にならないか?みたいなね。で、どんな修行するんですか?と聞くと、まずね、裏はすごいジャングルなわけね。で、ジャングルの中で一ヶ月ぐらい一人で生活をするんだ、と。

鈴木:なるほど〜。

上野:そうすると、ジャングルには色んな動物とかがいるんだけど、その中で、なんとか食い物を探したり生きていると、今まで見えなかった物が見えたり、聞こえたりするようになるから、そしたら出てこいって。それから教えるっていうんですよ。

鈴木:そうか〜…。なんか…細胞レベルでの自己鍛錬ですね。そーですか。いや、でも、それはすごいですね。例えば、今とても多い鬱病。鬱傾向に陥ると外敵刺激にどんどん無反応になりますよね。それとは対極のテンションを作り上げる訳ですね。

上野:ある意味そうだね。やはりいきなりジャングルは大変かもしれないけど、土の上に裸足で降り立って、子供の頃にしたようにね。それでまあ、ちょっとした畑仕事でも手伝ってもらって、土の上に寝るとか、あるいは川の水につかるとか、そういう、体で、皮膚で、自然を感じる。それでちょっと気持ち悪いなって思っている物が、なんとなく気持ち良く感じて逆転したときに、こっちのほうへクルっとスイッチが切り替わるというか。

いわゆるボディから入っていくのも効果的だというのは言えますね。

鈴木:なるほどね。生きていく力ってことですね。やっぱり生命力っていうのは絵に描いた餅ではなくて、基本的な細胞の力みたいなものですね。

上野:そうそうそう。ボディ、マインド、スピリットというのは、さっきも言ったように言葉の上では別れているけど、折り重なった一つの有り様ですから。どこから行ったっていいんですよ。別にボディに限らずね。いわゆるマニピュレーションにしても環境といわれるものが大事だと思うね。環境っていうのは、つまり自然の中に肉体を満たすっていうかね。

鈴木:本当にそうですね。

上野:知り合いの長井さんという写真家がアイヌの亡くなったおばあちゃんのシャーマンを心のよりどころとしていて、やはりバリのシャーマンと同じ事を言っていましたね。ナガイさんがおばあちゃんに指示されているのは、外で寝ろ、川の水で生活しろ、要するに昔のアイヌの人達が、動物と同じように野外で家もなくて、野外で生きていたころの生活を2週間させられた、と。その生活を2週間しているうちにも、大学病院で匙を投げられていたのがどんどんどんどん…

鈴木:まさに自然治癒力ですよね。なるほどなるほど、そうですよね。

上野:健康っていうのは、さっきも言った通り、日本語の健康はどっちかっていうと英語のヘルスの翻訳だったりしているわけね。もともと日本人は健康という言葉を言っていなかったわけですから。そうすると、「ヘルス(health)」っていうのは、ご存知のように”全体に戻る”っていう意味ですね。「ヒール(heal)癒える」という動詞に「th」がついて”その状態になる”って言うことなので、「health」は「全体という状態」になるということ。

「全体に戻る状態」というのが「病気が癒えた状態」。それが健康という状態、という風に西洋社会ではきちんと定義がなされている。そして「全体」というのは自然を含めた、宇宙をも含めた全体。「全てが一体だった時代」の「太古の記憶」を回復して、それに戻った状態、ということなんですね。西洋のヘルスの意味っていうのはすごくはっきりしているんですけれども、それが明治の日本の政府が健康政策を進めていくときに微妙に、なんていうかなぁ、まぁいわば、姑息な厚労省の役人みたいなのが当時からいますからね、やり口が姑息で、同じヘルスでもある時は保健と訳すんですよ。「保健行政」とかを英訳すると必ず「ヘルス」になってくる。そしてある時は「衛生」と訳す。この「衛生」というのは、英訳のヘルス。外国向けに発信する役所が同じヘルスという言葉を使い分けるわけです。これ実にわかりにくいんですよ。例えば、アメリカの最大の国家機関であるNOH(national objectives of health)というのがありますが、直訳すれば「国立健康研究所」ですよね。そういう風に訳してくれればいいのに「国立衛生研究所」って訳しているんですね。最近になって「国立保健研究所」とかね。まだ「健康研究所」とは訳してない。これにはすごく違和感を持っているんですよね。向こうは国が作った「国立健康研究所」なんですよ。その中に代替医療の研究所もあるのですが、健康を研究する学問、あるいは、健康を推進する行政、研究機関、というのがちゃんと欧米にはあるんですよね。日本の場合には、残念ながらそれらがないんですよ。「国立健康研究所」がない。病気の研究所はいくらでもありますよ。「血圧研究所」とかね。それは非常に問題なんですよ。健康というものを国が本当に学問として考えていない。なんとかして国の、ある時は兵隊として、ある時は労働者として生産性を上げる道具として健康にする、としか考えてなくてね。

鈴木:それはひどい国ですね(笑)

上野:そうですね(笑)。国にとって役に立たない生産者じゃなければあっちいってくれみたいな。そんな国じゃなかったんですよ、江戸時代までは少なくともね。お年寄りを大事にしていたし、今の沖縄みたいに、地域で一番大事にして、何かあったら必ずおじいちゃん、おばあちゃん呼んでやってもらって。おじいちゃんおばあちゃんは誇りを持ってそれが成り立っていたわけじゃないですか。そういう人がいれば、保健制度なんてなくてもいいわけです。江戸時代にはそもそもなかったんですから(笑)。そういう風に考えると、だんだん健康とかなんとか、国が口出ししないほうがいい、と思うんですよね。国民一人一人が自分たちでそれを築いてゆくとか、気がついて作ってゆくというのが、健全でいいんじゃないかな、と思いますね。そういう意味でこういう動きっていうのは大事なんですよね。別に国の補助金をもらっているわけじゃないでしょう?

鈴木:なんか、よりどころがなにもないように感じますが。

上野:ないように見えるけど、まだ何もないってことはないと思うんですよね。だって、さっきも言ったように、一応この体を持って産まれてきたっていうことは、命を与えられているっていうことじゃないですか。まあ健康体とまでは言わないまでも生活のできる体を与えられている。心も与えられている。みんな与えられているじゃないですか。それこそがよりどころじゃないですか。

鈴木:ああそっかー。そうですよね

上野:この与えられたものを、どう使おうか。最後どうやってお返しするのか。そこまで含めて自然ということですからね。そう考えてゆくとよりどころ、というのは与えられていると思いますね。これ以上何を与えられたらいいのかわからないくらいで(笑)。

鈴木:そうかぁ。そうですね。そこですね。一番の自然性、肉体は一番のアイデンティティーですね。