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院長対談シリーズ

対談シリーズ 翻訳家 上野圭一さん

上野:確かに。ホントに喪失してしまったら生きていけるわけないですから。例えば人工的な科学に、あるいはテクノロジーによって守られた人工的な人間の生存環境、一番代表的なのは例えばスペースシャトルなんかですね。あの中で何年も暮らせるわけですよね。だけども、それはそこにいる人間という一人一人の体の中は人工じゃないですよね。自然ですよね。その自然を維持できるような装置をテクノロジーで作ったのがスペースシャトルであって。

誇れるのはやっぱり自然だと思いますね。誰も自分で心臓動かしているわけじゃないし。ただそれを自然と呼んでいなかっただけの話で。

鈴木:それが今は、完全に意識の上でも、生活の上でも分離してしまっている。根本的な問題というのはそこですね。

上野:そこだと思いますね。でもそれは割合、そんなに難しくなく取り戻せると思うんですよね。

鈴木:芝生に寝っころがったり、川につかったりすることによって。

上野:そうそう。けっこう怖い思いとか、危ない思いとか、多少はしてもらわなきゃなんないですよ、それは(笑)。

鈴木:僕はこのストレス社会ですごくいいなと思うのがありまして、バンジージャンプとスカイダイビングがそれなんですけど、自分から飛び降りる自殺の疑似体験っぽくて、ストレスの順位制という観点から見ても、細々したストレスなんて吹っ飛びそうな気がします。

上野:身を任せる、という意味ではね。

鈴木:一つ間違えば、命を奪われる。死んでしまう。たとえフェイクであっても、経験することによってストレス耐性が活性化すると思うんですよね。

上野:あれと同じようなことを僕らはしょっちゅうやっているわけですよ。例えば、どこの学校に入るか、どこの会社に入るかとか、どうやって録音するか、とか、どこに旅に出るかとか。選択肢が一杯あって、そのうち一つを選んでいるわけじゃないですか。どの道を選んだってバンジージャンプと同じで、どうなるか本当にわかんない。一見わかっているように見えるけど、就職したらそのまま一生安泰なんて思っていたらとんでもない話で。先は何がおこるかわかんないじゃないですか。ということはもう、バンジージャンプ以上のリスクを負ったことになると思うんですよ。でも、そのようにして思い切って身をまかせること、この会社にしようとか、この結婚相手に決める…とか、”身を投げる”ということが大切なんですよね。どっかまだこうしがみついて、中途半端にやっているからいけないんだと思う。ぱっと離しちゃえばいい。

鈴木:何事にも腹が決まればそれでいいというね。

上野:そうです。離しちゃえば、なんとかなる。悪いようにはしない。それが宇宙だと思うんです。野生動物なんかもぽーんて飛んでますよね。どこに着くとか、わからないわけですよね。時には何千キロ何万キロと。何の保証もないし、健康保険も何にもないですから。食料があるかどうかもわからない。先に何かあるだろう、ってことでどんどん行っちゃう。それが生きる姿ですよね。中には冬の間に食べ物を貯めておく動物なんかもいますけどね。それもいいですよね。

鈴木:動物ってそれを忘れちゃったりしますからね(笑)。

上野:それでもいい(笑)。

鈴木:うちにもデカイ犬が2匹いるんですけど、犬との生活っていうのはプリミティブでいいですね。朝の4時半には起こされて(笑)。大人になると忘れちゃう雨の匂いとか、木枯らしで落ち葉が吹きだまる事とか、いやでも毎日散歩に行きますから。

アロマの勉強をしていて面白いな、と思ったのですが、みんなコンピューターの前で仕事していて、アロマボトルを引き出しに入れておいて、1時間に1回くらい匂いを嗅ぐ。目をつぶって。そうやって瞬間的にプロバンスに行ったりしている訳です。この嗅覚を刺激する、ということはものすごく現代にマッチしていると思うんですよね。

上野:嗅覚って一番原始的なものでしょ。

鈴木:そうですね。そこの領域っていうのは怒りだったり、泣いて騒いだりとかいう、プリミティブな感情の部分と重なっていますから、社会性が高まって行く程、抑えられてしまいます。仕事中に隣の机で急に泣き叫ばれても少し問題がありますから。しかし匂いでそこを刺激〜興奮させるというのは、程よく脳の階層のバランスが取れると思うんです。アロマってこんなに、色んな意味があったんだなあ、と脳の構造を通じて思いました。

上野:これも、アロマテラピーそのものはヨーロッパからやってきたもので、向こうの植物が多いわけで、それはそれでいいんですけれども、さらにこれから先を意識してゆくためには、従来この列島に住んでいた人達が、この列島でやってきたアロマ的なもの。そこを刺激するようなことを真剣に考えなくてはいけないと思いますね。この列島に住んでいる人達がどんな香りで癒されてきたか、とか。

鈴木:ヒノキ文化というか。

上野:そうですね。それから、そうですね。沈香とか、伽羅とか南洋から来たお香とか。あとその辺のスパイス、薬草とか、ですよね。いわゆる農家になっている木の山椒。向こうには山椒はないんですよね。そういう山椒の香り。それはきわめて日本的なものなんですよね。それを長い間嗅いできましたから、なんらかの効果が絶対にあるに違いないですよね。うなぎにあれがないと物足りないですからね(笑)。あの山椒を加える、っていうのは絶対何かあると思うんですよ。ビジネスになると思います。そういうエッセンシャルオイルとか。そういう事を前から感じているんですけど、なかなかやってくれる人がいないのですよね。

もうそろそろ、欧米から学ぶ段階から、欧米に発信する段階に来ていると思うんですよね。それを、これからの人は積極的にやってもらいたいと思いますね。まだまだ捨てたものじゃないです。この国の自然は残っているし。自然ともっと上手く融合させればお金になるんじゃないですか。沢山の人達にトライして欲しい。やっぱり脳の一番深い所で感じるのは、そういうものだと思うんですよね。音楽療法だって、音楽療法学会とか行ってみるとがっくりくるのは、ほとんどが西洋音楽の、モーツアルトの何番とかなんですよね。もちろんそれでもいいんですけど、それは西洋人の理論であって、日本人の音楽って全然違うものがあるんですよね。そっちのほうにもっともっと力を入れてほしい。日本人の音楽療法って持ってないと思うんですよね。一応西洋から来たものは大事にする、っていう必要はあるかと思うけれど、それを日本特有の繊細なものに仕立て上げる技があるはずなんですよ。我々は持っているんですよ。それをやらないと。ただただありがたがってブランドでね、パリの誰が作ったなんとかだって喜んでいるようじゃ、幼稚な段階だと思うんです。行くべき道はもう見えてるわけですから。

鈴木:カラダ的にそうですね。先ほどおっしゃっていたように、西洋の価値観に何から何まで変革してゆくのは無理がある。急激にそういうものの価値観に変革していったので、身体システムがそれに対応出来ていない。

上野:無理があるんですよね。やっていて美しくないものね。本当にバランスがとれたものっていうのは、美しいからね。日本の伝統文化をやっている人達って所作から何から美しいもの。決まっているし。隙がないじゃないですか。頭の先からつま先まで決まっている。大工さんなんか見ていても、昔から大工さんがやっている格好とか、所作って、美しいわけね。やっぱ由来のものは、そこまで仕立て上げてきた、飛鳥時代からずっとそうやってきたわけですから。

鈴木:そうですねー。でも、今さら生活様式一つ元に戻るっていうのに抵抗がありますけど。

上野:戻るんじゃなくて、先があるんですよね。

鈴木:先がある…ジャパネスクみたいな。そういう西洋の価値観を取り入れた「新日本式」みたいな価値観でしょうか。

上野:一度海外へ出ないと日本の事がわかんないとか、よく言うじゃないですか。それはもう、ヨーロッパの人もアジアにしばらく来て、そしてヨーロッパのニュアンスがわかったわけで。みんなそうだったんですよね。

鈴木:ちょっと離れてみることで自らが明らかになりますね。

上野:だから、戻るんじゃなくて先があるのだと思う。博物館の中をいくら探したってあんまり役に立たないと思うんですよね。参考にはなるけど。参考程度。やっぱり今生きている中で探していかないと。

鈴木:もともと自然との共存っていうのが、得意だった民族ですしね。

上野:得意ですよ。得意というか、「自然との共存」も新しい言葉ですよ。もともと一体だから。自然との共存なんて意識する物じゃないんですよ。それほど自然だったんですよ。僕は言葉で飯を食っていますから、言葉に対しては敏感なんですよ。少なくとも英語と日本語という全く違う言語体系の擦り合わせをしょっちゅうやっていますからね。英語を母国語としている人が世界にどのぐらいいるのかって、逆にそこから照らして日本語を母国語にしている人間が世界にどのぐらいいるのか、と両方こう、見るのが仕事ですから、一つの言葉に対して二つの物の見方をするという、癖がついちゃっているんですよ。その狭間をずっと生きてきましたから。なんかわかんない事があると、一端行き詰まったら、こっちから見たらどうなるか、とそういう複眼的な物の見方をする習慣がついちゃっているんですよね。だからこういう事が何時頃産まれたのか、とか、そういう事を調べてゆくとわかるんですよね。本当に古い、それこそ大和言葉、縄文の頃から使っていた言葉がまだ残っているし、奈良時代に使っていた言葉、明治、幕末に使っていた言葉、そういう言葉の寿命を維持することによってその言葉の力って違うと思うんですね。古い言葉ほどそれこそ脳の回路に眠っている何かを知ることができるんですよね。