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対談シリーズ シュタイナー教育 子安美知子先生

子安 美知子先生

早稲田大学名誉教授
スイスに本部を置く普遍アントロポゾフィー協会・精神科学自由大学
・文芸部門日本代表
(株)ルドルフ・シュタイナー・モルゲンランド代表取締役
NPO法人あしたの国まちづくりの会 理事長


鈴木:お忙しいところありがとうございます。今日は先生にお伺いしたことはたくさんあります。
私にとってシュタイナーは、ゲーテと並ぶドイツの二大巨匠という印象があるのですが、そのシュタイナーには二つの大きな特徴があると思います。まず、思想家というだけではなく、自身が類稀なる活動家であったという点が一つ。これはシュタイナーの死後、あらゆる分野で活動が継承され、発展されつづけているのですね。
もうひとつは、従来の神秘主義者の方たちは、不可視の領域の実在性に重きを置き過ぎていて、どうしても思考を軽視しがちであるのに対し、シュタイナーは「科学的・明晰な思考によってそれらを矯正していかなければ、内的な体験は病的、あるいは主観的になりすぎてしまう」という立場を取っている。だから内観的に得たインスピレーションを軽はずみに鵜呑みにせず、科学的思考の上にのせてとことん叩き上げていく。
その二つが際立った特徴であると認識しています。

子安先生(以下敬称略):そうおっしゃられると付け足すことが全くなくなってしまいますよ(笑)。私も机の上の勉強ばかりしていた人間。ゲーテも文学者として好きでした。そのゲーテを研究している学者の中にシュタイナーという人がいるということは知っていました。でも35年前にわが子が通いだした風変わりな学校の設立者シュタイナーが、ゲーテ研究者であるシュタイナーと同一人物だ、とは知らなかったんです。あの学者のシュタイナーがこんな学校作ったのって、私もびっくりました。
哲学や学問と、子供の教育なんていう具体的な実践をするのが同一人物とはね。
それと神秘主義というのは、いかがわしいと思っていた私なんですけれども、シュタイナーが、神智学から人智学に行ったということで安心しました。今でも神智学方向に偏る人はどこにもいますけれど、それは危険です。

鈴木:.....はい、私は少し偏りすぎる傾向があるので気をつけなければいけませんね。
ですがあえて、その神秘主義的な中からいくつかおうかがいいたします。まず不可視の領域についてなのでが、シュタイナーの実在認識能力は先天的なものなのか、後天的に自ら獲得していったものなのでしょうか?

子安:先天的だったと思います。ただ、誰もが自分にちょっとそんな力があると早飲み込みするのは危険だから、見える世界から論理を一歩一歩追っていくことで、危なげなく限界を踏み越えて、認識に到る、その道筋を示したのです。
彼自身、幼いときに、田舎の駅で見知らぬ女性が飛び込んできて、何事かをシュタイナーに言って、ストーブの中に入るのを見た、ということがあったそうです。翌日知ったところでは、現実のその女性はちょうどその時刻に、どこか近くで自殺をした人だったと。
そんな力を持っていたようです。長らく誰にも言わずにいたと書いています。

鈴木:シュタイナーの言葉の中で「魂は不可視の領域を直接知的に体験できるようになるんだ」と、その技法というものも、いろいろ示してありますね。それらはやはり、メディテーションを中心とした内側に訴えるものなのですか?

子安:ある段階からはメディテーションを薦めています。で、その前段階のエクササイズもいろいろありまして。有名な、6つのレッスンと言うのは具体的で取っつきやすく見えますから、簡単に紹介してみましょう。
第一レッスンは、毎日5分間くらい、ひとつのものをじっと見ることに意識を集中します。
その対象について思考を次々にめぐらせるのです。例えばこの紙コップなら、この形になる前の段階は、ここが開いていただろう、その前は大きな紙から切り取った、その前は、その前はノノと、逆順に思考を展開します。エンピツ一本とか、ハンカチ一枚、簡単な対象物を目の前にして、その同じモノを毎日5分たどっていく練習。それを一ヶ月やるわけですね。
今のは思考練習といいます。
第二のレッスンは、自分で決めたある時間に(これは秒針を気にする必要はありません)、自分で決めた何らかの行為をします。"日常生活とはなんの関係もない行為"を、です。花の水やりなんかだと、日常性があるんです。シュタイナーが例示したのは、右のものを左へ置いて、また右に戻すというような、日常的な意味のない行為です。大事なのは、何の行為をするかは自分で選ぶこと。人がこういうことをしたと聞いてまねたら、もう自分の創造ではなくなりますから。これは意思のレッスンです。行為内容に意味があるんじゃなくて、自分で決めた行為を自分で必ずするという意志力がレッスンのねらいです。
3ヶ月目には、感情のレッスンです。私たちの日頃には「わーうれしい!」と有頂天になったり、がくっと落ち込んだり、波立ちがありますね。この感情の波立ちを、出来る限り少なくする練習です。四六時中やって、日常人としてヘンになっては生けません。ただ、一日一度は「波立ちをやりすごそう」という意識をしっかり持つ練習なんです。
四ヶ月目は、ポジティビズムといいまして、どんなにネガティブな事柄の中にもプラスを見出すレッスン。聖書の例でいうと、イエス・キリストが弟子たちと歩いていて、惨死した犬の屍骸を目にしたときのこと。弟子たちは「おーむごい、」と目を背けた。、一人イエスは「見なさい、何と美しい歯並みだ」と言った。自分が打ちのめされるようなひどい事柄の中に、一点でもプラスを見出す練習です。
5ヶ月目、「私のなかを白紙にする」練習です。「ああ、それは知っている」「もう聞いたよ」と自分を、「知らなかった」「初めて聞いた」と虚心になるエクササイズです。誰かが飛び込んできて、「そこの教会の塔が傾いている」といったとしたら、「バカなことを」と思わずに、腰をあげて塔を見に行く。
それぞれ一ヶ月のレッスンを続けるごとに、シュタイナーは、体のどこら辺に熱を感じるなどの細かい効果を示唆しています。
で、6ヶ月目は、今までの5つをバランスよく組み合わせて練習することになります。これがメディテーションの前段階での練習ですけれど、やり始めると、じつはなかなか難しいです。
私なんか、最初はもう20年も前に面白そうだと思って好奇心で始めたんです。でも最初の一ヶ月の課題だって、早々と挫折。なんとかつないで、2ヶ月目にはいるけれども、これもどこかでウヤムヤに。3ヶ月目の中途あたりで、だめだ、私って、となる。しばらく投げ出し、中断状態。ふとまた何かのきっかけで振り出しからやり直すノノ。そうやって20年以上過ぎて来ているんですけど、どれも繰り返し手をつけはしたものの、未だに6つのレッスンをやりおおせたとは、とても自信もってなんか言えません。ただ、このエクササイズにまるで無関心だったとしたときの自分を想像すると、少しずつでも身につけようと努めている自分は長い時間のあいだに多少でも人間が変 わってきてはいるのではないか、と思えます。
それに、前段階と言いましたが、これを完全にできてでなきゃメディテーションをするなというわけではありません。メディテーションにしても前練習にしても、完璧にやりとおせたかとうかではなくて、とにかく取り掛かってみるということに意味がある気がします。