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対談シリーズ シュタイナー教育 子安美知子先生

鈴木:言い方をかえると、魂の癖を取る、矯正していくみたいなものでしょうか?

子安:そう、魂の癖を取る、って、とてもふさわしい表現ですね。一日が終わって夜寝る前に、その日の回顧をする習慣づけもあります。長くなくていいのですが、逆回転で思い起こす練習。または、一日の中に軋轢のあった人間がいたとします。その人を思い出して、自分を向こう側の人間に成り代わらせる練習。相手から見た自分がどんなだったか? センチメンタルに反省するとかではなく、「あの人から見た子安美知子はノノ」を事実に即してマナイタに乗せる。「あの思い上がった態度!」とか、見直してみる。いろんな練習のほんの一例ですけれど、それで魂の癖を取っていくわけです。

鈴木:シュタイナーの凄いところは心理的メソッドだけではなくて、「オイリュトミー」のような身体技法、体を動かしながら精神との調和をさせていくメソッドを用いている点があると思うのですが。

子安:オイリュトミーは言ってみれば魂の体操です。
例えばまっすぐになりましょう、両方の手を水平に持ち上げてノノと言われると、私たちは鏡で確認しようとします。でも、鏡を見てはいけない、といわれるのですね。
あなた自身の意識を鏡にしなさい。意識が水平になっていれば、体も水平になるはず。
いわゆる障害者もオイリュトミーをしますけれど、身体に障害のある人だと水平になるといっても、目に見える体は斜めかもしれません。でもその人の意識が水平であればオイリュトミーの先生はちゃんと見ます。それで、健常者が一生懸命鏡を見てやるのと、どちらが意識を水平にできているかも分かるんです。意識が手先で途切れていれば先生は「あなたの直線、ここで切れています。直線はどこまでも続いているはずなのに」とかも。そういう意識が大事なんですね。

鈴木:この間先生のビデオを拝見させていただきました。それで今日先生からお話を伺うのはとてもタイムリーだと思ったのですが、ビデオの中でシュタイナー教育の原点は障害者教育だと先生は仰っていましたが、僕は近々仲間と障害者に対して手技療法を展開していこうと考えているんです。
これは言ってみると僕の治療家としての魂の願いなんですね。運動系を改善することによって、自律神経系の働き、内臓の働きがよくなり精神の調和が現れて来る。それが一番適応できるのは障害者だと思うのです。
障害者の方たちの訓練や授業内容を見学させていただくと、自分で体を動かすリトミックやトレーナーとともに行う遊戯的運動、またはメンタルな面から行うメソッド。ほとんどのものがその肉体と精神の2つの面から行います。ですがいくら調べても骨格や筋肉をきちんと観て他動的に矯正していくメソッドが皆無なんです。僕たち体を整える専門家からみて、手つかずであるそこの領域にとても可能性を感じます。
先日授業を拝見させていただいたリトミックの先生が、こないだまでべたべた歩いていたのに、足首がたってきた(アキレス腱の発達)。お箸を使う親指が良く動くようになったと仰っていたのですが、僕たち治療家にとって、アキレス腱や親指というのは、それぞれ脳を緩める時に使う部位なんですね。脳に対するアプローチを行う時にアキレス腱や親指を使います。そしてダイレクトに首~頭蓋骨の操作をするのです。
そこが障害児達の特有の動きとイコールコンディションとして僕の目には映るのです。
僕はわくわくして仕方がありません。
先生はシュタイナー教育と障害者についてはどう思われますか?

子安:私の失敗談を申し上げます。娘があの学校に行っていて、私たちが帰国するとき、娘はそのままドイツに残ることになりました。娘を預かることになった家庭のお母さんがシュタイナー障害児学校の先生だったんです。私、その学校に訪ねていって、もう今口にするのも恥じることを言ってしまったんです。「うちの娘は今まで幸せすぎて、身近に不幸な子供と接したことがないから、ここの子どもたちと接しられるのはとてもありがたいわ」なんてことをです。先生はきょとんとして「この子たち、幸福なのよ」って仰った。22~3年前ですけれども、なんていう言葉を自分は言ってしまったのか、がーんと気づいて愕然としました。つまり障害を持っている子を「不幸せな子供」と言ってしまった。で、それがきっかけで私のその意識は壊れました。
あの学校の先生たちは障害者の子供たちを「何度も生まれ変わりを繰り返していく中で次の人生を敢えて障害者として生きようようと自分から選んで地上に降りることがあるのだ。そうやって生まれたときの人生は、健常体に宿って生まれたときとは違う、飛躍的な発展をする。歴史上で偉大な仕事を残した人などは、その前とかもっと前の地上人生で障害者の人生を歩んでいたかもしれないぐらいだ、っていう話も聞きました。
それくらい大事な認識で障害者に対しますと、「かわいそうで助けてあげる」のではなく、「自分は体がたまたま自由だけれど、人間の一番核になる自我は、はこの子の方がずっと上にある」と見て臨むことになる。「私はこの子と一緒にこの仕事をしているおかげでこういう交流が出来る」という意識で働いているので、悲壮感もなければ自己犠牲もない。
明るく相互交流しているのですね。日本に帰ってきてからの通常の障害者施設と、そういうところの空気とは、まるで違うと感じました。

鈴木:素晴らしいですね。以前、僕はあるセラピストの方が重度自閉症の子供と、弦楽器を介してコミュニケーションを始めたという本を読みました。その本によると、会話を始めてみると、重度自閉症で殻に閉じこもっていた子供は叡智の塊だったというのですね。壮大な宇宙の成り立ちから生命の根源など、すべて弦楽器を介して語るというのです。僕の中ではそれは大きな衝撃でした。結論は先生の仰ることと同じでした。崇高な魂がスタディとして、経験のために不自由な体に入るのだというのです。
障害者の方を見る目がガラっと変わりました。また、僕の整体の修行時代の師匠が、よく小児麻痺の子供を診ていたんです。縮こまった体が開いていくのを僕は何度も見ました。体には可能性があるのです。

子安:ぜひ先生、そのお仕事をなさってください。素晴らしい。わくわくします。