世田谷区用賀の整体院【せたがや手技均整院】|自然療法、更年期障害、不妊治療、妊娠期の腰痛、産後の骨盤調整、マタニティブルー、産後の腰痛、恥骨痛、マタニティ、更年期、妊婦さんbaby一緒OK

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息食動想環境について

通常の医学では、バクテリアやウイルスなどが疾病の原因となり、発病することになっています。そこには患者さん自身の責任は問われませんし、医師は、魔法の薬を使い、ばい菌を殺すことが仕事となります。ですが、最新の分子生物学という学問の視点では、「ウイルスやバクテリアが感染しやすい、体内の環境の乱れ(細胞の機能低下=身体が抵抗力を失っている)という因子がまずある」と考えます。同じ空間に居ても風邪を引く人と、引かない人がいるのはその為です。したがって、どんな病気の場合でも、身体を不健康にしている根本原因を取り除き、正常な細胞の状態を取り戻すことが必要となります。

体内をある一定の環境に整えて、自分以外のものから守る働きを免疫系といいます(エイズが恐いのは、この免疫系を破壊する為、あらゆる感染症にかかる可能性が出てくるから恐いのです)。しっかりと免疫系が働ける環境を、体内バランスを計る為の一つの指標とするならば、栄養バランスのよい食事を基本に据えることが、環境を整えていく為の第一歩となります。もう少し立ち入って見てみると、身体の機能を低下させている原因は、
●間違った栄養摂取
●汚染された食品や水、空気
●環境からの毒物
●強い、あるいは持続的なストレス
●体内時計にそぐわぬ生活パターン
●運動不足から来る基礎体力の低下 etc…

ざっと考えただけでこれだけあります。食べ物、水、空気、環境、人間関係…浄化すべきものは数多くありますが、まずセルフィックな努力と観点で、すぐにでも取り組めるのが、食べ物とお水の改善です。 BD=Body Development的「食」のあり方、考え方を見てみましょう。 私は食事は3つの側面を持っていると思います。それは、
●栄養の供給という物理的側面
●宴としての文化的側面
●生命の譲渡という宗教的な側面 の3つです。

通常、食事が大切である、というのは、「栄養の供給という物理的側面」を指して言います。そこには、どのようなものをどのぐらい、どのような時に食べるかなどを、最新の栄養学に照らし合わせた食事療法から、ある個人の経験的メソッドなどに、あるいはその地域の伝承などに基づいた食養法や食事療法、健康法などが数多く存在しています。皆それぞれにいい所があると思います。じっくりと調べ、御自分にあっていると思ったら、自己責任の上でトライしてみるのもと思います。 BD的に「栄養の供給という物理的側面」を考えてみます。簡単です。そして非常にシンプルです。それは、私達が持って生まれた「歯の形態」に従う、ということを基本とします。 まず、私達のもって生まれた歯の形態は、穀物をすりつぶす為の奥歯=臼歯が4。野菜を噛み切る為の前歯が2。お肉を引きちぎる為の犬歯が1の割り合いで穿いています。 ですから、私達の身体は、穀物を4、野菜を2、お肉2を1の割り合いのお食事をいただく、雑食性の動物として出来ているのです。 犬歯を持って生まれて来たのだから、まったくのベジタリアンというのも??だと思います。 盲腸がいらないと思われていた時期がありましたが、ちゃんと免疫系に関与しているんだと、ある時期からわかりました。 私は、身体に不必要なものは一つも無いのでは?と思っています。

病気のポジティブ・シフト!

身体はまだまだ未知の世界です。トータル的に、生命体としてとらえた場合、何もわかっていないのではないか? 私達が頭であれこれ関与して行くより、身体の自然に任せたほうがうまく行くのではないか…。整体の根本的な思想に、このような「身体の自然を信じきる」そして「まかせきる」というものがあります。 その「身体にまかせきる」という考え方は、食事にもあてはまります。身体のバランスがきちんと整い、私達がクレーバーな身体と呼んでいる、バランスのとれた、心地よい感覚の身体では、今、自分はこのような料理の、このような味つけのものが食べたい、と、現在の自分にとって必要な食べ物が、とてもはっきりと、ダイレクトに食欲に反映されてきます。 その反対に、ギリギリまでバランスが崩れてくると、今、自分にとって一番いけないもの、不必要なのもが、なぜかどうしても食べたくなって来ます。そして、発病していきます。発病とまでは行かなくても、吐いたり、熱を出したり、風邪を引いたり、ジンマシンが出たりしながら、体調を一気に壊して行くきっかけとなります。 BD的に見ると、この体調を壊すと言うことは、別に何も悪いことではなくて、身体をリニューアルする為のきっかけである、ととらえて行きます。それは、「発病すると言うことは、大きくなり過ぎた体内の矛盾を吐き出す為の行為であり、精算行為である」という考え方の提案でもあるのです。 誰でも完璧な生活をしている人などいません。疲れや、ストレスや、過ぎた行為などが重なったり、生まれ持った因子などが関与しながら病に臥せることもままあるはずです。ですがそれをいけないことと考えて戦って行くことも、もちろん正当なことですが、ちょっと、視点を変え、一息ついて「病気は身体の大掃除である。隠し持っていた身体のネガティブな部分を吐き出して、心底、元気になる為の行為なのだ」と考えて行くことも、また必要なことなのです。 そうすることにより、ずっと気持が楽になるでしょう! B D的には「心の重荷は少しでも軽いほうがいい」という発想を基本的に好みます。 そのように考えて行くことによって、存在自体が「悪」である「病」がポジティブシフトされることに気がつくはずです。 また、いつも同じものが食べたい、という要求も、偏りが固定された身体からの要求ですし、いつも何を食べても平気、人と一緒でいいよ!というのは、一見、付き合いがよさそうに聞こえますが、その多くは身体が鈍摩し、内なる声、身体の要求を聞くことの出来なくなった身体からの表現であります。

☆ここまでをまとめてみると、
●穀物4、野菜2、お肉1、の割り合いで食べていくのが適している
●良くも悪くも、身体が要求している、食べたいものを食べる

という、なんか相容れない、矛盾的なものとなります。ここで感じる矛盾と言うのは、体調を整えて、クレーバーな身体で生活して行くと、自然と4、2、1のバランスが整い、今の自分に必要な食事を欲するはずなんじゃないの? という所から来るのもだと思います。 確かに、きちんと整った身体ではズバリとごく狭い範囲、あるいはピンポイントに必要とするものを適格に要求します。ですが、実際には、4、2、1、のバランスとは相容れないことの方が多くあることも事実です。 ここに一つのからくりがあります。4、2、1、のバランスを「人の一生」という長いスパンで考えてください。子供と老人とでは必要とするものも、美味しいと感じるものも、まるで違うのが当然です。 成長期には、お肉など、いくら食べても、それこそ毎日がお肉でも尽きること無く、しかも美味しく食べられます。しかし、老年期になれば、お肉などはほんの少し、あるいは、何日かおきでいいかもしれません。

必要と感じるものは美味しいと感じるのです。味でいうと甘く感じます。お水を飲んでも、お塩をなめても、もし必要なら甘く感じます。「旨さ」というのは「甘さ」なのです。食事も、整った身体で、タイムリーなものを食べるということは、ものすごく美味しいのです。すべてに甘味を感じているのです。 身体の矯正の仕事をしていて、よく「まるで食欲がないけど栄養の為無理に食べているんですぅ」などとお聞きすることがあります。真正面からお答えすると、きっと半日はその方への説明で過ぎてしまうこととなってしまうと思うので、その場では「あ~っ、そうですか......」と、うやむやに、お茶を濁してしまうのですが(その為のB D通信なのです!......許してね!)、無理に食べているなんて愚の骨頂です。食事がまずければ食べなければいいのです。 何も食べずに1~2日は、本当に、何の心配もなく過ごせます。その「食べない」という行為を否定するすべてのささやきを無視してトライして見てください。心から美味しくお食事が楽しめる身体になります。旨味=甘味ということも、身体が欲する要求ということも、お水の甘さまでも、すべてが、体感として理解できるようになります。私は、これは財産だと思っています。物のありふれた、飽食の時代に生きて行く上で、すべてが鈍く、鈍摩した感覚が当たり前の中で、本当のピュアーな感覚を取り戻すこと。そこから感じることは、オーバーではなく、価値観を変革していく第一歩として相応しいとさえ思っています。